88歳のおばあちゃんからその地図を見せてもらった。
 
その地図は、おばあちゃんが
生まれてから20歳過ぎくらいまで過ごした
ふる里である大阪市内の街並みとのことだった。
 
最近、当時のことを思い出すことがあり、
思い出すままに描いてみたら、
こんなにも覚えているもんだと、
自分でも感心したとのことだった。
 
その街は、おばあちゃんが20歳過ぎのときに
大阪大空襲によって、壊滅的な状態になったと言う。
 
それ以来、その街に行ったことがなく、
いつかその街を訪れてみたいのだと話してくれた。
 
それならばと、その次にご来院していただいた日に、
いつもご一緒していただいているおばあちゃん2名と共に、
大阪市内をドライブしましょうと提案させていただいた。
 
おばあちゃんが地図に描いた街は、
私が初めて会社務めをした街でもあった。
私自身、その地図と改めて見比べてみたかった。
 
と言うことで、おばあちゃん3人と、
大阪市内のドライブに出かけた。
 
30分ほどで目的地に到着した。
予想したこととはいえ、
おばあちゃんが描いた地図とは、
全く違う街並みがそこにあった。
 
1時間近く車を徐行させながら、
そのあたりを散策してみたが、
記憶に一致する建物や、表札は見つからなかった。
 
でも、大通りや路地、町名がそのままであったことで、
それだけでも満足ですと、
おばあちゃんは喜んでくれた。
 
帰路に就こうと車を走らせたとき、
レトロ調のひとつのビルが目に入ってきた。
 
そのビルをおばあちゃんに指し示すと、
 
「この辺りに長瀬商会さんがあったんですけど・・・」
 
と、言われたので、そのビルをよく見ると、
ビルの側面に「NAGASE」と表記してあった。

 


疲れたら癒されにおいでよ

 
「ああ・・・このビルだったんですねぇ・・・」
 
聞くと、大空襲のその日、戦火を目の前にしながら、
近所の友達と二人で非難する途中、
火災から身を守るために
このビルの裏に流れる川辺に降りた時、
川の水が熱湯のように湯だっていたのだと言う。
 
やむなくそこから2kmほど北にある
中之島公会堂まで非難したのだそうだ。
 
ビルの裏に車を停めて、
しばらくそのビルを眺めていたおばあちゃん。
 
目にはみるみる涙が浮かんできた。
 
おばあちゃんにとっては、
人生の中で最も怖い体験をしたのがこの場所だった。
 
しばらくしておばあちやんは、
静かにこう言ってくれた。
 
「今日はホンマに連れて来てくれてありがとうございました。
 ここであの時のことを思い出したら、
 よー、この歳まで生きてこれたなぁとしみじみ思えましてん。
 そのことに感謝せなあかんなぁと思いましてん。」
 
と、涙をぬぐいながら、
何度も何度もお礼を言ってくれた。
 
ほんの遊び心で企画した今回のドライブ。
実行して本当に良かったと思った。
 
 
死と背中合わせの体験をくぐりぬけてきた人。
10歳の頃から子守奉公の仕事に就いた人。
姑のイジメに耐えきれず一晩中山道を歩いて実家に帰った人。
農作業のために腰が直角近くに曲がってしまった人。
 
様々な人生を体験してきたおばあちゃんが
みやな気功院に来院してくださっている。
 
楽しみが、遊びが、友達が、職場の上司が、
などという悩みを悩みとは捉えず、
ただ目の前のことに一生懸命に生きてこられた人たち。
 
生きる辛さ、悲しさ、苦しさとは・・・。
 
おばあちゃんたちと話をさせていただいていると、
改めて考えさせられてしまう。